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上田桃子 特別インタビュー「私もキャロウェイもいつもチャレンジしていた」 | キャロウェイゴルフ公式サイト

上田桃子 特別インタビュー「私もキャロウェイもいつもチャレンジしていた」

2024.12.25 招待する
2024年シーズンをもってツアーから離れることを決めたキャロウェイ・スタッフプレーヤーの上田桃子プロが、年も押し迫った12月中旬、インタビューを受けてくれました。最後となった試合から1カ月ほどの生活ぶり、トップアスリートとしての20年、苦楽をともにしてきたキャロウェイに対する思い、今後への展望など、話は多岐にわたり、ここにすべて収めきれないほどでした。晴れやかな笑顔の写真とともに、ぜひ、ご覧ください。

──区切りとなった試合から少し時間が経ちましたが、その間はどんな生活をして、どのような心境でしたか。

みなさんからけっこう、この質問をいただいていて、たぶん10回以上(笑)かと思うんですが、12月は例年となんら変わらない生活を過ごしているので、何も変わっていないんです。本当に12月は今日も含めて、けっこうずっと(取材や撮影などの)仕事が続いていますし、1カ月じゃ変わらないと思うんですよね。ただ、明日何かをしなくちゃいけないとか、今日これをすると、たとえばトレーニングができなくなるかなとか、ゴルフのことを考えて過ごさなくていいところは、たしかにいままでとは違います。そういう点で、何か物足りなさみたいな感じはしていて、「寂しい」と表現しているんですが、それは決してネガティブな「寂しい」ではないですね。

──たとえば、寝坊したりしても問題はない生活ですよね。

それが本当に、ある撮影のときにやっちゃったんです(笑)。これまで本当になかったことで、気が緩んでいるわけでもないのですが。いままでなら、明日はこの予定があるから、ネット配信のドラマを観るのは1話で絶対やめようとか思っていたのが、2話、3話と行ってしまって。でも、自分のなかで、朝遅く起きるのはどうしても嫌だという思いがあるので、結局3時間とか4時間とかしか寝ていなくて寝不足になったりしているんですよね。ただ、そういうところは変わったというよりも、12月ならではの過ごし方をしているという感じです。やっと終わったという解放感からやりたいことをやるというのは、これまでの12月もそうでしたから。それが、シーズン開幕前の2月くらいからはまったく違う生活になるので、そのとき初めて何かを感じるのかなと思います。でも、まったくネガティブな感情はないと思います。

──これまでプロとしての生活をするうえで、我慢してきたことや、やりたいけれどやれなかったこともたくさんあるのではないですか。

あります。それこそ、選手生活から離れたら、アメリカのツアーで回っていたゴルフコースに行きたいというのが1つ、自分のなかの目標としてもありました。ここのご飯屋さんに行ったなとか、このホールはこうだったなとか、思い出もありますし、真剣な感じじゃなく、1人のゴルフ好きとして行って楽しみたいと思っています。また、ケガが心配でできなかったスポーツもそうですし、キャンプにも行ってみたいですし、クラシックの音楽も聞きにいってみたいとか、たぶん無限に出てくるので、なんでもやってみたいですね。好奇心が強いですし、誘われたらフットワーク軽く行けちゃうタイプなので、いろんなものに興味があります。

──そう考えると、ガラリと生活が変わりますね。

できたら、の話ですけどね。そういう希望が自分のなかにあっても、実際にそれができるかどうかは、まだわかりませんから。結局なんだかんだで、ゴルフの練習をしているとかいったことになったら、「あんまり変わらないじゃん!」となってしまいますし。

──練習されるんですか。

わからないです(笑)。やりたくなるかもしれないですし、このままやらないでいるかもしれないですけど、でも、今日(キャロウェイ・スタッフプレーヤーが集まっての撮影)みたいに、(石川)遼くんのスイングを見たりとか、笹生(優花プロ)と話して、「ここは、こうなの?」とか、何かヒントがあったりすると、やってみたいなとは思うので、わからないですね。みんなが練習していたら、「ああ、私も遊びがてら行ってみようかな」とか思うかもしれないです。

──振り返りになりますが、これまでのプロ生活20年は、デビューしたときにイメージしたとおりでしたか。それとも、先のことは考えずに突き進んできたという感じでしょうか。

将来のことはまったく考えず、突き進んできました。本音をいうと、プロになった時点で自分のなかでは1つ、ゴールテープを切っているという感じでした。小さいときから親の協力や、たくさんの人の応援もあるなか、最低限、プロになれたら恩返しになるかなと思っていたので。実際にプロになってからは、もう自分のために、もっと強くなりたいとか、できないことをできるようになるというのが目標でした。だから、けっこう好き勝手というか、思いどおりにやらせてもらいましたね。アメリカ行きも、親はけっこう反対していましたが、それでもやっぱり行きたいという自分の気持ちを優先しましたし、帰ってくるときも、自分がそうしたくなったからでした。自分で全部決断して動いてきましたから、本当にあっという間だったなと、余計に感じるところもあります。

──ご自身の評価として、この20年は「よくやったな」という感じですか。

よくやったなと思えるところと、先ほども言ったように、あっという間だったなと思ってしまうところと、両方あります。でも自分自身に対して、もっとこうしておけば良かったんじゃないかとか思うことは、1つもないですかね。やりたいことは全部やってきましたし、たくさんの人に習いましたし、たくさんの良いものをこの目で見て、それをマネしたりしたことなども含めて、チャレンジしてこれたなと思っています。やっぱりすごく大きかったと思うのは、本物を知れたということです。私がアメリカに行ったときは、ロレーナ(オチョア)とかアニカ(ソレンスタム)とかカリー(ウェブ)とか、スター選手がたくさんいる時代でしたし、タイガー(ウッズ)のプレーも見にいきましたし、そういう良いものを実際に生で体感したというのは、すごく大きかったと思うんです。私としては、そういう良いものから刺激を受けて、自分がちょっとでもうまくなりたいと思って練習してきたこと以上に、できることはなかったと思いますから、後悔やタラレバはあまりないですし、こうだったらな、みたいなものは本当に1つもないと思います。

──これまで重ねてきた通算17勝は、多いですか、少ないですか。

少ないと思います。もっと勝つことができたんじゃないかと思います。でも、これが結果なので。技術を1年1年、更新していっているときには、「なぜ、これを去年気づけなかったんだろう」「これができていたら、あのとき絶対ミスはしなかったな」とか思うこともありましたが、でも、それがまた次の1勝を生んでいたということでもあるので、結果、それができていても17勝止まりだったかもしれないです。でも、1年1年、何かしら気づくことがあったので、もっと勝てていたのに、とは思いますね。

──いちばん、うまくいった1年を挙げるとすれば何年になりますか。

プロ入りした2005年がいちばん伸びたなと、自分では思います。江連(忠プロ)さんのアカデミーに行き、実際にたくさんの先輩プロの練習を見て、プロとはこうなんだとリアルに感じ、本当にスポンジのように吸収しかない状態でした。怖さとか悩みとかまったくなく、やることだけをやっていたという感じです。やらなきゃいけないこととかはなかったので。最近だと、この1つの作業をしたいから、まず身体をこうしなくちゃいけない、そのためにはこういう準備が必要でと、いろいろ逆算のように、しなければいけないことがありましたけど、その当時は、身体とメンタルが勝手に繋がってコントロールできていました。自分自身がすごく成長しているなというのを感じていましたね。具体的には、球筋に出ていました。良い球が打てていましたし、音が変わったなとか、そういう技術的な成長をすごく感じられていたなと思います。

──では、20年でいちばん印象に残る大会は何になりますか。

印象が強いのは、アメリカのツアーに行く権利を得た2007年ミズノクラシックでの優勝ですが、いちばんうれしいと感じたのは初優勝(2007年のライフカードレディス)だと思います。地元の熊本開催だったので、これ以上ない喜びだったというか、周りの人たちの喜んでいる感じも含めて、初優勝を地元で挙げられたというのはすごく幸せなことだと思います。前年の2006年は、ずっと優勝争いをしながら勝てていなかったのですが、「ああ、このためにとってあったんだな」というふうに思えた優勝でした。自分が練習していたゴルフ場でもあったので、恩返しができたという気持ちもすごく強かったなと思い出しますね。ただ、どの大会もやっぱり思い出があるので、これと選ぶのはなかなか難しいですが。

──そんな上田プロのツアー人生において、キャロウェイという会社、クラブはどんな存在だったと思いますか。

自分のなかで、ゴルフコースはずっと戦場だと思っていたんです。だから、ゴルフクラブは武器のようなもの。いくらクラブが良くても、クラブだけでは勝てないし、いくら自分に技術があっても、クラブが進化してくれないと海外の人には追いつけない。自分の武器をどうやって使いこなすかというところで、やっぱりマッチすることがいつもすごく大事だなと思っていましたし、その意味で、キャロウェイには絶対的な信頼がありました。それと、ジュニアのころからキャロウェイに対して、すごくカッコいいブランドだなと感じていたので、それに見合う選手にならなければいけないという責任感や期待も含めて、ともにがんばってこれたかなというふうに思っています。私もキャロウェイも、いつもチャレンジしていて、負けないぞというような気持ちはいつもあったなと思います。テクノロジーや打感、音、豊富なラインアップなど、私はキャロウェイからいつも驚きをもらっていましたが、たぶんキャロウェイとしても、私がデビューしてすぐにバーンと行けたのは、けっこう驚きだったと思うんですよ。自分たちが思っている以上のスピードで結果が出たので、驚きの連鎖みたいなものが、すごくいい相乗効果を生んでいたようにも思います。また、スタッフの人が一丸となって、これがいまちょっとうまくいってないんだよねと言うと、全力でそこに向かって取り組んでくれました。やっぱりキャロウェイだったから、これだけ長くできましたし、クラブで悩むということも本当にありませんでした。そこは、すごく恵まれていたなと思います。

──なかでも印象深いモデルを挙げるとすれば、何になりますか。

もう、これしかないと思うのはTri HOT #3パターですね。名器だったと思いますし、中学生のころから使っていたパターなので、すごく大好きでした。あのパターを使っていたことで、他のプロの人たちなどと、「これ、やっぱりいいよね」といった共通の話が生まれることも多かったです。ほかにもX FORGEDウェッジなど、良いクラブだったためになかなか変えられないということも、すごくありましたけど、そのなかでもTri HOT #3パターはいちばん大好きだったクラブだなと思います。他とは比べられないくらいの圧勝です。

──今後、キャロウェイとはどのように関わっていきたいと思っていますか。

先日ご挨拶に行ったときも、ゴルフ界全体の課題であったり、スポーツ界全体の課題であったり、そういったことをお話ししたんです。そこに向けて、私も新しいチャレンジをしていきたいと思っていますし、キャロウェイも同じ方向性で、キャロウェイや私だからこそできる何かがあるのではないか、と。キャロウェイにはジュニアもたくさんいますし、そういう後輩たちに良いアクセントといいますか、1つのスパイスみたいな存在になれたらうれしいなと思いますし、それ以外のスポーツ界、ゴルフ界全体の発展に繋がるような活動もしていけたらと思っています。ただ私自身、すごく継続するということを大事に思っているので、始める前までにしっかりと準備をしたいですし、簡単に思いつきでやりたくはないなというところもあります。まだジャストアイデアという感じなので、それをもう少し練っていけたら、みなさんに具体的にお伝えできると思っています。

──ご自身のこれからの人生についても、展望をお聞かせください。

ざっくりとしていて、伝わりにくい大きな目標ですけど、いちばんは自分がハッピーに生きたいので、楽しくなるようなチャレンジを常にしつづけたいですね。本当にゴルフというスポーツを通してたくさんの幸せな気持ちをもらったので、ゴルフ界に恩返しをしたいというのはすごく思っていますし、自分もハッピーになって、回りの人たちにもハッピーになってもらえるようなことをやっていけるのが、いまいちばんの目標かなと思います。

──フル参戦とまでは言いませんが、ツアーへのスポット参戦といったことも期待しないほうがいいですかね。

それはちょっと期待しないでください(笑)。でも、本当に先のことはわからないので、なんとも言えないですけどね。いまは、戻るというイメージがまったく見えていないです。ただ、うまくなりたいとかうまくなる方法を知りたいとか、もっとゴルフの深さを自分自身、死ぬまで学びたいとは思っているので、そこはたぶん変わらないと思います。